「関西生コン事件」と私たち  ジェンダー平等が働き方と社会を変えていく(ジャーナリスト 竹信三恵子)




女性の無償労働が下げた日本の賃金

関西生コン事件は、生コン業界の運転手の労組「関生支部」(連帯ユニオン関西生コン支部)への弾圧事件だ。そう聞くと、「男の世界」の話? と思ってしまう。だが、事件から見えて来るのは、労組とジェンダー平等の密接な関係であり、女性の労働から出発した労働運動こそが日本の働き方を救う、という事実だ。

日本が「賃金が上がらない国」になったのは非正規労働者を増やしすぎたからだ、という言説は、今では一般的になった。だが、その奥に、育児や介護、家事等への公的支援が乏しく、女性の無償労働に丸投げするこの国の仕組みがあるということは、今もあまり共有されているとは言えない。

戦前の日本は、ほぼ10年ごとに対外戦争を繰り返していた。「家制度」は、その戦費のため、保育・介護等を全て女性に担わせて公的資金を節約するための装置だった。無償労働に足を取られて外で働けない女性たちは、「戸主」という男性の「扶養」に依存させられた。

そうした仕組みは、戦後も十分には転換されていない。女性を「扶養」するためとして、男性は安定収入や無期雇用を保障される一方、極端な長時間労働を引き受ける「正社員」を割り当てられてきた。

一方、女性は、無償労働の隙間に「パート」等の非正規労働者として働くことを余儀なくされた。低賃金で不安定で失業手当や年金もない「半雇用」の働き方だ。それは「夫の扶養があるから困らないはず」とする「夫セーフティネット論」によって、社会的な批判も受けずに広がった。

このような「仕事に見合った待遇がなくても困らない人」という仕分けは、外国人労働者(=困ったら故国に帰る人)や若者(=困ったら親が助ける人)にも及び、「半雇用」の増加の温床になった。さらに、製造業派遣の解禁などを通じ、男性が多い業界にまで波及し、非正規労働者は働き手の4割近くに達した。

特に問題なのは、それらが短期契約であり、契約が更新されないことを恐れて労組の結成をためらわせる働き方であることだ。つまり、憲法28条が保障した労働基本権を行使できないことであり、そのような非正規の7割が女性だ。賃金は労組を通じた賃上げ交渉がなければ上がらない。日本が「賃金が上がらない国」になったのも不思議ではない。

労働者を守る産別労組の力

追い打ちをかけたのが日本の労組の在り方だ。欧米で主流とされる産業別労働組合(以下、産別労組)は、特定企業から契約を打ち切られても、その業界で働いていれば組合に所属し続けることができる。ところが、戦前の政策が尾を引いて、日本では新憲法が産別労組を認めた後も、企業別労組が主流だからだ。

企業別労組は、会社が支配しやすい仕組みだ。子育てと両立できる労働時間を求めても、「うちだけそんな仕組みを導入すれば競争に負けて会社がつぶれる」と会社に言われる。会社がつぶれると仕事を失うと思うと、働く側は黙る。もし、子育てが可能な労働時間が「業界ルール」とされ、企業を超えた労組が順守状況を監視できればそのルールはずっと容易に動くはずだ。

生コン業界は零細企業も非正規運転手も多い。そんな中では、会社が倒産しても契約を切られても組合員であり続けられる産別労組が不可欠だ。関生支部はこの仕組みを採ることで、どの会社で働いていても予告のない残業は断る権利があり、違反すれば圧力を行使できる労組活動を展開した。女性運転手たちが保育園のお迎えに間に合う労働時間で働けたのは、「女性のための何か」があったからではなく、そんな活動の自然な結果だった。

映画「ここから〜『関西生コン事件』と私たち」にも登場する生コン車の運転手、松尾聖子は午前中にセクハラに遭い、組合本部に電話で相談すると、「それはひどい、午後からストだ」と対応に乗り出した、と話す。企業を超えて業界の働き手を守ることを目指した「関生支部」の活動の特徴をよく表している。

ジェンダー平等とは、女性を男性の基準にはめ込んで同じにすることではない。会社の都合を超えて、家族の世話等の社会や働き手の都合を優先させる「企業外の論理」を持つ労組と、それを支える働き方ルールこそがジェンダー平等への一歩だ。関西生コン事件は、そうした労組活動を封じ込めようとする動きへの対抗力の必要性を、私たちに教えてくれる。


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