311甲状腺がん裁判④ 「私たちは今、匿名で闘っていますが、 一人ひとりに名前があります」
第4回「311子ども甲状腺がん裁判」では2人の原告が陳述を行なった。「原告4」の男性と、「原告7」の女性。2人とも20代の若者だ。 「いっそ、死んだ方が楽」 男性は、大学2年生の時に甲状腺がんが見つかった。がんと共に生きる生活は7年。発見した時のこと、初めての手術のこと、淡々と落ち着いた声で語っていたが、何度か、言葉をつまらせた。 「暗い手術室の中で痛みに耐えながら、声が出ないことに強い絶望を感じた。静まりかえった部屋の中で、ひたすら鳴り続ける心電図の音を聞いていると、この時間が永遠に続くかのように感じた。その時初めて、『こんなにも辛く、声も失うのなら、いっそ、死んだ方が楽かもしれない』そう思った」。 その手術の帰り道、山陽本線に父親と向き合って乗った男性は音楽を聞いていた。イヤフォンから“He Said,one day you'll leave this world behind. So live a life you remember” (父は言った。いつかお前もこの世を去る時がくる。だから、忘れられないような人生を送りなさい)という歌詞が流れ、ハッとしたという。 偶然ではあったが、「死にたい」と思ったことを後悔し「いつか死ぬなら、それまで、精一杯の人生を送ろう」「自分のことで、父親に負い目を感じさせたくない」と思い直したそうだ。 その後、男性は、就職活動の真っ只中に3回目の手術を受け、希望の会社に就職してからも、「反回神経切断(声を失うか、掠れる)」と告げられた4回目の手術を受けている。セカンドオピニオンによって切断は回避できたが、手術後、「小さく『あー』と声帯を動かす」「声はある。ほっと胸を撫で下ろす瞬間」と、その心情を語っている。 その後、アイソトープ治療も受け、「生まれてくる将来の命にも影響があるかも」と不安も吐露。最後に、がんの再発は覚悟しているが前だけを見たいと述べ、「自分の病気が放射線による被ばくの影響と認められるのか。この裁判を通じて最後までしっかり事実を確認したい」と締め括った。 原告の代理人は、男性が陳述する間、弁護士席からその姿を真っ直ぐ見つめ、目を赤くしていた。「しっかり聞かなくてはならないという思いがあった」と記者会見でも述べていた。 「私の名前はわかりますか」 原告が証言台に移動する間と、移動し終えてか