「教育」の現在地を捉え、次世代につなぐ(東京大学大学院教授 本田由紀)
これまで5回の連載により「日本の教育の現在地」について概観してきた。各回で述べてきたように、日本の学校教育は少なくとも先進諸国の中では最悪といってよい、一学級に多数の児童生徒を詰め込む粗い形で実施されており、その背後には教員定数を少ないままに維持し公教育への支出を抑制しようとする政府、特に財務省の思惑がある。その直接の犠牲となってきたのは、多人数の学級集団の中に埋没させられ、個々人の特性や感じ方にきめ細かく目を配られない児童生徒であることは無論である。また、ますます増大する教育課題やカリキュラムを多数の児童生徒を相手にこなさなければならない教員の過重労働・長時間労働が限度を超え、教員の人材確保さえ危ぶまれる状態になっていることは繰り返し指摘されているにも関わらず、対策は実効性のない姑息なものばかりで、改善は遅々として進んでいない。 さらに、こうした学校教育の基礎的な条件さえ整備しないまま、為政者にとって都合の良い国民となることを求める形で教育基本法は変更されてしまい、その中に含まれる条文や保守層の主張は、「家庭」即ち児童生徒の保護者たちをも政治的な統治の対象として位置づける性質のものであった。 ●広がり続ける教育格差 このような教育の現在地の中で、何とか対応しようともがく保護者の姿が明らかになってきている。 その姿を把握する上で重要な事項が塾や習い事等、いわゆる学校外教育の利用である。「広がる教育格差『最後の手段』に手をつける家庭が増えている…高収入なら塾代など大幅増の一方で」(2023年5月23日付東京新聞)によれば、総務省の2022年家計調査結果では世帯収入1250万円以上の世帯では2019年と比較して「補習教育」への支出が大幅に伸びているのに対し、世帯収入500万円未満の世帯では以前から少なかった「補習教育」支出がさらに減少している。 粗い学校教育だけでは、自分の子どもが受験等の競争に勝ち抜く知識や様々な「能力」を身につけることができないと感じている保護者たちは、学校教育以外の教育手段に支出することで「我が子だけは」有利な将来を確保しようとしているが、当然ながらどれほどの額が支出できるかは各家庭の経済状況によって差がある。一方では、教育虐待といえるほど子どもを学校外教育にふりまわす富裕な保護者も存在する。他方、コロナ禍による就労や収入への打撃、また2