構造改革の最終段階・DXで国は主権を無力化する(2021年11月10日号)
2、アフガニスタンから目を背けてはならない
構造改革の最終段階・DX(デジタルトランスフォーメーション)で国は主権を無力化する
奈須 りえ(大田区議会議員)
政府が国民に仕掛ける「革命」
デジタル化によって、政治、経済、社会システムをすっかり変えてしまおうという変革の動き=デジタルトランスフォーメーション(以下、DX)が加速しています。デジタル庁設置などデジタル関連の法律が制定されたのも、こうした変革に必要だからです。
新型コロナの感染防止を名目に進むDXですが、国家戦略特区の議事録には、平時なら絶対にできないことを、「火事場」という認識を作ってでも進めようとする有識者の発言があります。
総務省は、既に2017年の情報通信白書で、スマートフォンをはじめとする多様なツールで様々なデータを収集・蓄積してビッグデータ化し、人工知能(AI)等も活用しながら処理・分析を行なうとしています。現状把握や将来予測、様々な価値創出や課題解決を行なうことが可能だといいますが、人が通信の主役ではなく、機械間通信(MtoM)が中心となる社会を目指しており、この変化を「第四次産業革命」と呼んでいます。
「人が通信の主役でなくなる」というのも穏やかではありませんが、国が「革命」と呼ぶほど大きな変化を私たちの社会に起こそうとしていること、そしてコロナの感染防止と言いながら、コロナ前から進めようとしてきたことに気づくべきだと思います。
自治体にDXを強制
国は、全自治体でDXを着実に進めていくため、2025年度末までに、各自治体に計画を策定するよう求めています。自治体の主要な17業務について、国が定めた標準仕様に従って事業者が開発したシステム(ガバメントクラウド)を利用させ、全自治体の業務データが標準化されるのです。
そもそもDXは、企業のシステムの老朽化を背景に経済産業省が立ち上げた研究会の中で、コロナ以前に2025年度末を目途にシステム基盤の標準化などとともに提案されていたもの。DXにより企業の老朽化したシステムの更新と行政の情報システムの標準化・共通化が行なわれ、巨大なデータ連携基盤(ビッグデータ)が出来上がり、スーパーシティで認定された事業者が使えるようになるというのが、ここでつながるわけです。
誰一人守られないDX
「誰一人取り残さない」というのは、ビッグデータに全ての国民をつなげることであり、全ての人が「必要なサービスを受け守られる」わけではありません。DXにより、ビッグデータを使ってビジネスチャンスを得られるのも、全ての国民ではなく一部の事業者に限られる不公平な仕組みなのです。
政治の主役も人から機械へ!?
何より問題なのが、行政の業務や事務処理にAIの活用を想定していること。EBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)といって、「統計や業務データなどの客観的な証拠に基づく政策立案」まで行なわせようとしています。
AIと聞くと、機械的にデータ処理された客観的な問題解決や意思決定のように感じてしまいますが、どのデータを入力し、その中から、どんな基準で抽出するかを決めるのは「人間」です。その後、AIに任せてしまえば、意思決定過程はブラックボックス化し、ただでさえ国民の声が届きにくい政治が、さらに国民から遠のくことになります。
本件についてデジタル庁に質問したところ、「ご指摘のような課題があるとも言われており、海外でも我が国でも、それらの課題にどのように対処していくべきか議論が行なわれているものと承知しています」と答えましたが、実際にそうした議論は聞こえてきません。
構造改革は、行政分野を一部の「投資家の利益のために開放する規制緩和」の段階から、政策立案や合意形成を「投資家の意向で操作することも可能なAIへ委ねる」段階に入ったと言えますが、これを民主主義と呼べるでしょうか。
ここで憲法改正が行なわれれば、主権さえ奪われることになるかもしれません。今こそ、私たちの民主主義が問われていると思います。
アフガニスタンから目を背けてはならない
日本国際ボランティアセンター(JVC)顧問 谷山 博史
アメリカ敗退の意味を問う
戦争を始める時は鳴り物入りで騒ぎ立てて始め、失敗して敗退するときは裏口から逃げ去って何事もなかったかのように口をつぐむ。アフガニスタン対テロ戦争を始めたアメリカと、同盟国として協力した日本を含む各国政府のタリバーンの政権復帰に際しての態度です。挙句の果てに、メディア報道と調子を合わせるように、タリバーン政権による人権抑圧への懸念表明に終始しています。
アフガニスタン戦争に協力した日本の私たちがしなければならないことは何でしょうか。アフガニスタンが再び忘れられようとしている今だからこそ考えたいと思います。
「対テロ戦争」とは何だったのか
アメリカはアフガニスタン対テロ戦争を通常の戦争ではなく講和なき戦争として始めました。すなわち国際法を無視した戦争であり、出口のない戦争でした。
アメリカが「テロリスト」と名指したタリバーンを殲滅するために「住民の中で戦う戦争」を行なったため、何十万人という民間人の犠牲者を生み出しました。国際シンクタンク、SENLIS評議会の2006年レポートにあるように、アフガニスタン人の間に「外国軍は自分たちを攻撃し」、「タリバーンは抵抗戦争を戦っている」と見なされるようになったのです。米軍に対する報復感情がアフガン人の間に生まれ、多くの若者がタリバーンに参加していきました。
加えて、アメリカは何度か訪れた和平の機会を拒否し続けました。大きなターニングポイントは2007年、アフガニスタン政府と国連がタリバーンとの和平に舵を切ろうとした時です。カルザイ大統領や国連は、タリバーンとの交渉を模索していました。
しかし、アメリカはこの和平の試みを潰したのです。その後、タリバーンはみるみる勢力を拡大し、勝利が視野に入ってきたため対話のインセンティブは失われていきました。国際シンクタンクICOS(International Council on Security and Development)の2008年レポートでは、同年時点でタリバーンの影響力は全土の72%に及んでいました。勝てる戦争でタリバーンを和平交渉の席につかせるのは難しかったのです。
タリバーンを孤立させてはならない
9・11の報復戦争として始められたアフガニスタン戦争ですが、そもそも「テロ」を戦争で解決することが許されるのか、「テロリスト」を匿っていたという理由でタリバーン政権に戦争を仕掛けたことは正しかったのか、タリバーンの降伏提案を無視して圧倒的な軍事力で根絶やしにしようとしたことは戦争犯罪にならないのか。今アメリカと日本をはじめ、戦争に協力した国が向き合わなければならないのはこのことではないでしょうか。しかし欧米と日本は、タリバーンによる抑圧的な政治に対する懸念からタリバーンを非難するばかりで、タリバーンとの交渉のテーブルに着くことさえ拒否しているのです。
JVCは東部ナンガルハル県で女性を含む成人の識字教育(写真)を行なっていました。これをJVCから独立した現地のNGOが引き継ぎ、タリバーン県政府との交渉の末、9月初めには再開にこぎつけました。10月には北部3県で12学年までの女子教育が再開されました。さらにタリバーンが強行に反対していた小児に対するポリオ・ワクチンの接種が全県で開始されようとしています。NGOや国連は現地で地道な対話を重ねることで、タリバーンへの恐怖や懸念を乗り越えようとしています。
これは、何を意味しているのでしょうか。対テロ戦争で虫けらのように駆除の対象とされていたタリバーンに余裕が生まれ、交渉の余地が出てきているということではないでしょうか。一方、ISによる自爆攻撃が連続して発生したため、タリバーンは治安対策の強化に乗り出しています。NGOが家宅捜索される事例まで発生しています。加えて現在人口のほぼ半分の1800万人が、人道支援を必要としており、5歳未満の子どもの半数以上が、今後1年間で深刻な栄養不良に陥ると予想されています。
前政府は何十兆円という国際支援に支えられていましたが、タリバーン政権は銀行資産さえ凍結されています。タリバーンが交渉の扉を開いている今、国際社会と日本は、まず無条件で人道支援を始めるべきです。人道支援のプロセスの中でタリバーンとの相互不信を信頼に変えていくべきなのではないでしょうか。
市民の力で甲状腺エコー検査を継続 「関東子ども健康調査支援基金」
東電福島第一原子力発電所事故の放射能汚染被害は福島県内だけにとどまらない。しかし、子どもたちへの甲状腺エコー検査は福島県内だけ。福島県外でも「原発事故・子ども被災者支援法」による支援施策を切望し、「汚染はあるのだから支援対象地域に指定してほしい」と多くの人々が訴えたが、実現しなかった。
そのため、福島県外では市民による甲状腺検査が続いている。「関東子ども健康調査支援基金(以下基金)」は、2013年9月に立ち上がり、寄付と、医師・スタッフのボランティア協力によって甲状腺エコー検査を運営してきた。毎年1000〜2000人が訪れ、のべ1万1146人が受診。栃木県、茨城県、埼玉県、千葉県、神奈川県の18の開催地・運営団体と連携し、寄付で購入した1台の検査機で、165回、甲状腺検査を継続してきた。
10月23・24日、那須塩原市の「アジア学院」での甲状腺エコー検査には、23世帯、32人の子どもたちが訪れた。今回、初めて受診したという人が初日は5人、2日目には4人いたという。
受診には、様々な工夫がこらされ、「福島県立医大による検査より手厚い」という印象だ。まず、動画で検査の流れを確認する。その後、臨床技師と医師が待つスペースに行くと、大きなモニターが2つ。1つには「過去の画像」、もう1つには「今の画像」が映される。画像を見ながら、医師が丁寧に説明する。
基金では、個人の記録を6桁のID番号で管理しているので、過去の受診記録をどこの会場でも参照できる。医師の説明を記録係が聞き取って入力し、すぐにプリントアウト。受診者は次のブースで書類の説明を受け、エコー画像と結果報告書が手渡される。「検診で保護者や本人が甲状腺の状態を知って、健康を守っていく一助となれば」と共同代表の木本さゆりさんは話す。
この日は、女性スタッフが8割以上。アンケート調査に訪れていた宇都宮大学の清水奈名子さんは、当初から栃木県での甲状腺検査に必ず訪れ、調査を継続している。「女性がお互いに力を合わせて運営し、温かい雰囲気」。検査室を区切る衝立や検査ベッドのカバーも手作りで、優しい雰囲気が漂う。
この日の協力団体「那須塩原 放射能から子どもを守る会」の手塚真子さんは、原発事故直後から、地域の子どもを守るために活動し続けている。「事故当時は、放射線量の測定をしたいと思いつつ、あちこち自分で測定するのも心配でした」。どのくらい放射線量が高いのかわからない中での測定には、リスクが伴うためだ。また、事故直後の4月に小学校に入学した子どもの学校給食も「先生、うちはお弁当にします」とその日に宣言した。それから6年間と、中学に入ってからも、お弁当を作り続けていたという。「でも、この土地(栃木県北地域)は生産者が多いので、そういったことを皆、話せませんでした」。
10年が経ち、変化もある。「小さな子を抱えたお母さんたちが大変そうだったけれど、みんな大きくなりました」。基金は、保護者に渡していたパンフレットを「子どもたちに読んでもらうために」と2019年に改訂し、難しい漢字にフリガナをふった。
清水さんも、当初アンケートに「お子さんはおいくつですか」と書いていたが、現在は「回答するのは、受診者の保護者ですか、ご本人ですか」と変更した。甲状腺エコー検査機の横に「(検査の際)縦抱き、横抱きOKです」と当時は書かれていた。そんな話を交え、スタッフは10年の月日を語り合っていた。
反省会では、清水さんが「当時は親が連れて行ってくれなかったけれど、自分で来られるようになったので受診した」という若い世代の声を紹介し、「継続することはとても重要で、必ず意味がある」と励ましていた。 (吉田 千亜)