手続き無視の原子力防災訓練―新潟柏崎刈羽原発(2021年12月10日)
避難退域時検査 2021年11月13日 |
●なぜ防護服を着ないのか
11月13日、2021年度の新潟県原子力防災訓練を訪れ、驚いた。その現場は、避難退域時検査(以下スクリーニング検査)の会場だった。
2020年度の原子力防災訓練時には、この会場は「真っ白」だった。会場の職員が全員、防護服を着ていたからだ。しかし今年、スクリーニング検査場では誰も防護服を着ておらず、遠巻きに眺めた会場は黒かった。
防護服を着ない避難訓練が意味するところは2つある。1つは、被ばく防護を軽んじていること、もう1つは、避難訓練における唯一の視覚的「原子力災害」要素をなくすことで、参加する住民に危機感を与えずに終わらせてしまうことである。
このスクリーニング検査場の運営は、原子力規制庁が策定した『原子力災害時における避難退域時検査及び簡易除染マニュアル』に基づいて行なう。最後の修正は、2017年1月30日で、「防護服を脱いで訓練をする」という改訂はされていない。
防護服を着なくて良いという認識自体が、原発事故を軽く見ている証左だ。驚いて、現場でも、帰宅後の電話でも、「一体どういうことなのか」と取材した。
現場で話を聞いた新潟県の職員によると、「JAEA(日本原子力開発機構)の報告書によって、スクリーニング場での被ばくは低いという結果が出たため、今後、防護服を着なくて良いことになったらしい」という。JAEAの報告書のみで、緊急時に重要な「行政職員の被ばく防護」を変更して良いのだろうか。
その後、内閣府原子力防災の担当課も、マニュアルを策定した原子力規制庁も、訓練の主催となる新潟県も、「マニュアルを改訂していない」という認識がありながら、訓練では、「JAEAの報告書に基づき、今後は防護服を着ないことになる予定だから」という理由で、先んじて訓練を行なったという話をした。内閣府が新潟県に「そうなる予定なので、防護服はなしで訓練をしてくれ」と持ちかけ、それを新潟県が飲んだことになる。
原子力規制庁では「今後、原子力規制委員会にかけて、マニュアルを改訂する予定」とは言うものの、それが決まったわけではない。これまで、委員会にかけなくても修正を行なってきた経緯もある。手続きを無視した訓練を行なったことを、問題視しなくてよいのだろうか。
●予定調和の訓練
原子力規制庁は、「スクリーニング場は、原発から30キロ圏内より外側で行なわれ、かつ、放射線量の低いところを選び、放射性物質が土に沈着してから行なうので、防護服がいらない」と、その理由を話していた。
しかし、福島原発事故の100分の1の放出量という想定で計画されている原子力災害時の避難計画自体が、荒唐無稽である。福島原発事故は、3日間かけ、4つの原子炉が想定外の事故を起こしている。
たとえ福島と同じレベルの事故であっても、3~4日後のある段階で、「放射性物質は土に沈着した」「もう放射性プルームは飛ばない」「次の原子炉の事故はない」と、誰が決められるのだろうか。福島では、そんなことは不可能だった。計画上では、5キロ圏内(PAZ)の住民が避難し終えるまで、5キロから30キロ(UPZ)の住民は避難できないまま、「屋内待避」させられている。「家の中で待て」ということだ。果たして、国や電力会社の情報を鵜呑みにし、福島以上の大規模な原発事故は一切想定せず、じっと家の中で我慢できる住民が、どれだけいるだろうか。そして、仮に屋内待避をするにしても、食料の備蓄が足りる家はどれほどあるだろうか。
行政職員の被ばく防護を怠るということは、住民の被ばく防護も蔑ろにされるだろう。例えば、福島原発事故では、緊急事態宣言(事業者からの15条通報)が出されてすぐ、消防は、被ばく防護装備を行なった。行政職員は、原発事故が起きてからも、放射線のモニタリングのためにあちこちを駆け回り、住民の避難誘導等も行なったが、防護装備は徹底されていなかった。被ばく防護をしないまま業務を行なうことは、リスクが大きい。今回の勝手な方針変更に対しては、行政職員こそが異議を申し立てるべきである。自分たちが守られずして、住民を守れるはずがないだろう。
柏崎中央海岸では、遠浅で近くには来られない海上自衛隊の「くにさき」が沖合2キロに停泊。ホバークラフトが住民を砂浜に迎えに来るという訓練もあったが、実際は悪天候で乗ることができなかった。砂浜からの避難も、夜間であればさらに難しい。ホバークラフトから右に視線を移すと、柏崎刈羽原発が見える。事故が起きた原発を横目に見ながら、海へと避難することに、「住民の被ばく防護」の理念は見えない。
左手の水飛沫はホバークラフト/右手に柏崎刈羽原発 |
原子力防災訓練は、原子力避難計画のほころびを露呈させている。国と自治体は、税金を使った壮大な茶番劇を真摯に反省すべきだ。そして、「原子力災害からの避難は無理である」という認識を、多くの人が持つべきだと改めて感じている。
(吉田 千亜)