「戦争しない国」であり続けるために(2022年4月10日)

法政大学名誉教授 田中 優子



 


「火事場泥棒改憲主義」

ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』という本がある。戦争や災害が起こった時に、その危機に乗じて一気に経済改革を行なうことだ。公共部門を民営化し、復興と称して


企業が急拡大するのである。「惨事便乗型資本主義」と呼ばれるが、「火事場泥棒資本主義」ともいう。

COVID〞19に乗じて「緊急事態条項」を決めようとしたり、ウクライナに乗じて9条改憲と核共有を口にしたりするのも、ショック・ドクトリンだ。「火事場泥棒改憲主義」と名付けても良い。

そもそもCOVID19も災害も、それぞれの実情に沿って対策を考えた方が効果的である。国の命令で統一した行動を取ることが、災害にふさわしいとは限らないのである。ちなみに「緊急事態」とされた時には、国会の議決を経ない軍事目的の増税・戦時予算の編成が可能となり、法律に基づかない政令によって、自治体の港湾・空港管理権、病院の軍事優先・独占使用などが可能となるという。

2018年に自民党は、「自民党憲法改正草案」の中から優先的な4項目の「条文イメージ」なるものを発表した。この緊急事態条項のほか、自衛隊に関すること、合区解消・地方公共団体、教育充実である。この4項目を出してきたことの目的は、教育充実のように誰もが望むことを看板にして、実は9条改変と緊急事態条項を通すことではないか、と私は思っている。

実際に外国が攻めてきても、現行の憲法下で国を守ることはできる。自衛隊法は、自衛隊が「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛することを主たる任務とし」と、国内における任務を定めている。憲法9条は自衛権を認めており、ウクライナ軍がそうしているように、自衛隊法に基づいて国内で任務にあたることができるのである。

条文イメージの9条改正は、現行の9条の後に「第九条の二」として、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」を付け加える、というものだ。

自衛隊法とこの条文イメージには、違いが1つある。自衛隊法は「国の安全を保つため、我が国を防衛する」とあるが、条文イメージは「国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」となっている。「国民」という言葉が入ることによって、在外日本人を守るために自衛隊の海外派遣が、これで可能になるのだ。

既に2015年の安全保障法制で、自衛隊は他国まで守ることができるようになり、憲法解釈は大きく変わってしまった。さらにこの条文を加えることで、他国にいくらでも「必要な措置をとる」ことができるようになる。

私たちが「その程度の加筆ならいいのではないか」と言っている間に、こうしてじりじりと「本音」に向かって変えていく、という戦略だ。その「本音」が自民党憲法改正草案である。この草案では9条の文面が大きく変わっている。さらに「第九条の二」として、「国防軍を保持する」と、軍隊の創設が条文化されているのである。


再び侵略国家にさせない


自民党憲法改正草案は、天皇を国家元首とし、国防軍を作り、「家」制度を国家の基盤にし、「個人」という言葉をただの「人」にしている。ここは、女性たちが考えなくてはならない。戦前のような、子どもを産むことが唯一の役割とされた家制度に戻っていいのか? 

その価値観を持った大日本帝国憲法のもとで、日本はウクライナ侵略とよく似た満州事変を起こしたのだ。自ら鉄道を爆破して中国に責任を負わせ、独断で満州国を建国し、国際連盟が満州撤兵勧告案を42対1で可決したことから、日本は孤立して国際連盟より脱退したのである。そこから戦争はエスカレートし、敗戦まで12年かかった。

現行憲法、とりわけ9条は、日本が二度とかつての侵略国家にならない決意と、自ら戦争放棄して世界平和の先駆となろうという決意が込められている。

にもかかわらず、その9条を変えるなら、それはプーチンと同じ「軍事力依存」であり、そこには日本を再び侵略国家にしようとする意図がある。

私はそのことを言い続けようと思う。

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