武力でなく戦争させない外交を(2022年4月25日号)

(弁護士)杉浦ひとみ

▼国民が待望した「平和憲法」


2月24日、ロシアからの一方的な武力侵攻を受けたウクライナのゼレンスキー大統領の「祖国を守る」「最後まで戦い続ける」の言葉に、「そうだ!」と自然に呼応したくなる気持ちは否定できない。「戦わない」という日本の憲法9条は、現実的ではないのか? との思いが頭をよぎったのではないだろうか。

しかし、この日本国憲法は、1941年12月の真珠湾攻撃を始期と考えても、1945年8月15日の敗戦までの約3年半の悲惨な戦争を経て、日本国民が心底待望したものだった。戦争体験のない私たちは、実はこの『待望』の念を、これまで実感したことがなかった。

この1カ月余のウクライナの状況は、戦争が何であるかを私たちにリアルに示している。

何千人もの市民の犠牲者を出し、愛する人や家、コミュニティも平穏も失った多くの人々が、泣き叫び、恐怖に震え、また悲壮な緊張感のもと避難している。食卓でその映像を見ている私たちは、その痛みと不安を、今一度「自分ごと」として想像すべきだ。

体と心に消えない傷を負った人々と、親を失い将来を黒塗りにされた孤児たちの悲劇は、目には見えず全土を覆い尽くし、永く堆積していく。それは、東京大空襲訴訟に関わり、戦後70年以上苦しみ続けた原告らと多数出会ってきた経験から言えることである。


▼犠牲になるのは誰か


他方、ロシア兵はどうだろう。迎え撃つ敵の中に乗り込む不安や恐怖、指揮官を大勢失い、経験の少ない兵士が混乱の中にいるという。ニュースによれば、チェルノブイリ原発付近に塹壕を掘り、兵士が被ばく症状を呈したとも聞く。

IAEA(国際原子力機関)が3月31日に「原発を占拠していたロシア軍が、原発の管理をウクライナ側に戻し、原発から撤退している」旨の声明を出しているというから、信憑性がある。戦争の現場は、混乱しているのである。

戦争下、兵士は使い捨てのコマだ。太平洋戦争中、大勢の日本の若者が、兵站の保障のない戦で、飢餓のために命を落とし、片道の燃料で特攻に向かわされた。その戦いと、どう違うのか。このような形で子どもを失う親の無念は、敵も味方もない。映像で見る破壊された建物は、人の心や社会の破壊のだ。

この悲劇は、実は、アメリカやNATOなどが攻め入ったアフガニスタンでも、イラクでも起こっていたが、私たちは情報の偏りで、気にとめることがなかっただけである。

ところで、当事国以外は無傷なのか。経済学者浜矩子さんは、現代の世界は「グローバルジャングル」だと言う。弱肉強食という意味ではない。世界は大きな森で、大木や低木、下草が植物連鎖をなし、滋養を与えつつ生態系を織りなし、共存なしには成り立たないジャングルを形成しているというのである。

ロシアへの経済制裁は、武力制裁よりは賢明であるが、ロシアの人々の生活を圧迫し、またロシアからの物資の輸入の停止は、他国民の生活を直撃する。この戦争で、石油や天然ガスを中心に国際価格が急騰している。燃料の高騰は物価を押し上げる。また、ウクライナとロシアで小麦の世界輸出の30%を占めており、小麦の価格は過去最高に達し、食料コストが急上昇している。グローバルジャングルの中で、資源や力のある国はまだしも、弱小の国は危険な状態に至る。


そして、戦争に伴うこれらの犠牲は、戦争を指揮する者たちではなく、全て庶民が負担するのだ。だからこそ戦争の準備ではなく、戦争に至らない外交こそが重要なのだ。


▼突きつけられる9条の真価


2015年、強硬に作られた安保法制は、戦争中毒のアメリカが戦争をすると言えば、日本も一緒に戦争をしなければいけないという集団的自衛権を認めた法律だ。これが違憲であることは、当時ほとんどの憲法学者が指摘した。制定後7000人余の原告らが、全国25の裁判所で争っているが、いずれの裁判所も、安保法制について合憲ありきの判断を下している。

しかし今、まさに武力で争うことの実態が示されている。武力で戦うことの悲劇と損害は「戦わない」方法で回避すべきだという9条の真価が突きつけられている。司法は、自国他国を隔てない市民の基本的人権の保障と、今や平和なくして共存することのできない国際関係を視野に入れ、安保法制(戦争法)を憲法に照らしてすべきである。

私たちは、憲法を尊重する代表を、今夏の参議院選で国会に送らなければならない。

 

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