核は平和に生きる権利を奪う──殺すな、殺されるな、殺させるな(2022年5月10日号)

第五福竜丸展示館学芸員
市田 真理


抑止は脅し。数年前、学生グループの学習会で話した時のこと、私は核兵器で牽制し合う体制について、これは脅しあいでしかないと説明した。そのとたん、1人の学生が「そんなノイズは聞きたくない。お花畑の理想論だ」と大声で言い放ち、席を立った。
「お花畑」というのは能天気な人、考えが浅薄なことを揶揄する言葉だそうだが、面と向かって言われたのはこの時が初めて。ちゃんと彼と議論したかったとの悔いが今も残る。


ビキニ事件の衝撃

市田さん
1954年3月、アメリカが行なった水爆実験に巻き込まれ、日本の漁船・第五福竜丸が被災した。大量のフォール・アウト(放射性降下物)を浴び、乗組員23人は頭痛、吐き気、倦怠感から始まりβ線火傷による皮膚疾患、脱毛現象など急性症状に見舞われ、2週間後に母港・静岡県焼津に帰港。翌々日、第五福竜丸の被災を読売新聞が報じ大騒ぎとなった。いわゆる「ビキニ事件」の始まりだ。

乗組員たちは長い闘病生活を送ることとなり、漁獲物から放射性物質が検出され「原爆マグロ」と呼ばれた。もちろん第五福竜丸だけが操業していたわけではなく、この年の暮れまで続けられた検査により、少なくとも延べ1000隻近い船から放射能汚染魚が見つかり、廃棄させられた。

雨にも放射能が含まれていることがわかると、ビキニ事件は遠くの他人事ではなく、我が家の食卓と家族の安全に関わる「自分事」になる。原水爆反対の署名運動は全国各地で取り組まれ、翌年8月までに3200万人を超える人が意思表示をした。

しかし、核保有国は増え続け、米・ソ・英・仏・中、さらにはインド、パキスタン、北朝鮮が行なった核実験の総計は2000回を超える。実験に従事する兵士や実験場の風下地域住民を被ばくさせながら、世界は核を抱え続けている。核に核を対峙させ続けるということは、ヒューマンエラーや想定を超える災害のなかで、人類は核の被害に怯え続けるということではないか? これが「脅し」でなくて何だというのだろう。

脅かされる平和的生存権

私たちの憲法は、平和に生きる権利を高らかに謳う。「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起きることのないようにする決意」を誓っている。法律に疎い私でもわかる言葉でいえば「殺すな、殺されるな、殺させるな」と決意しているのだ。

戦争は最大の人権侵害、環境破壊だ。核開発もまた人権と環境を蹂躙している。そこから目をそらすわけにはいかない。

アメリカの核実験場となったマーシャルでは、今なおふるさとに帰れない人たちがいる。健康被害と不安を抱えている人たちがいる。ルニット・ドーム(核爆発でできたクレーターに汚染土壌や使用した機材などを捨て、コンクリートで蓋をした場所)は、海面上昇の進む中で、放射能漏れという新たな危機に直面している。

第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんは、核実験被害の当事者として、自分たちの犠牲に対して責任を取るべき立場の者がいるのではないかと問い続けていた。核の脅威から目をそむけて、幸福に生きられるのか、とも問い続けていた。

共有すべきは「未来への責任」

今年1月、核を保有する5カ国が「核戦争に勝者なし」とする声明を発表した。そのうちの1カ国ロシアが今、核使用を辞さないと威嚇を続けている。

「緊張状態にある時でさえ、核兵器については自制すべきだ」と語るアメリカは、昨年、臨界前核実験を行なっていたことを公表した。核使用が不気味なリアリティを持って迫ってきているが、ひとたび使われれば、取り返しのつかない被害がこれから長期間にわたり続くのだ。広島・長崎の原爆被害者たちが被爆の実相を語り、警告し続ける声を私は知っている。核実験被害者である大石さんの声を聞いた私には、その声に応える責任がある。

核による抑止は、脅しでしかない。国際間の安全を担保するものではないと、これからも言い続けよう。「お花畑」と揶揄されようともだ。お花畑は、妄想では作れない。耕し、日々世話をして、時には傷ついて真剣に作るものだ。

大石さんは「真剣に考え、真剣に怒れ」と常に言っていた。核武装、核共有を口にする人たちにも伝えたい。共有すべきは、未来に対する責任だ。


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