自衛隊「南西シフト」の現場 宮古島で何が起きているのか




安保法制違憲訴訟・女の会の原告4人で3年ぶりに沖縄に行った。目的地は宮古島と辺野古だ。10月9日夕方に那覇に到着、ゆいレール安里駅で源啓美さんの迎えを受けて「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の事務所に向かう。高里鈴代さんと源さんから、今の沖縄の状況を伺った。


2015年10月にUCLAレイバーセンターのケント・ウォン氏が辺野古を訪ねたのをきっかけに、島ぐるみ会議の訪米が始まり、米国の調査委員会に報告を送ってきた。委員会では(辺野古の新基地建設について)「困難な課題がある」と認識されている。辺野古では、機動隊が「道交法違反です、抗議は道の反対側でやってください」と言うが、止めるべきは違法工事の方だ。有機フッ素化合物PFAS入りの泡消火剤が米軍基地から垂れ流され、住民に異常値(血中濃度)が出ているのに、立ち入り調査ができないと日米地位協定の問題点を指摘。

今年1月、島々を再び戦場にさせないと宮古や八重山の人々も参加し「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」が結成された。みなさんもぜひHPを覗いてみてほしい。

民家の近くに射撃場と弾薬庫

2日目は源さんと共に宮古島に飛び、源さんの友人である下地恵子さんの案内で島内を回った。

まず向かったのが、陸上自衛隊訓練場。台形の土盛りに草が張られた弾薬庫が2つ完成(弾薬も入っているそうだ)、もう1つ作る予定だという。弾薬庫の先には、全長300㍍になるという射撃訓練場が見える。張り巡らされたフェンスに沿って草をかき分けると、訓練場の端で工事が続いており、直径2㌢近い鉄筋が組まれた太い柱が見えた。地下30㍍も掘っているので隊員用のシェルターかもしれない。野外射撃訓練はしないはずだが、夜にはパンパンという音がするという。

何より問題なのは、この弾薬庫から250㍍の近さに民家があることだ。もしも事故やテロが起きたら、住民は逃げられない。保良訓練所の門前では、この集落に住む下地博盛さんを中心に、日曜日以外の9〜11時半まで抗議・監視行動を続けている。

下地さんと最近宮古市議となった娘のあかねさんが到着し、「ジュネーブ条約の『人口の集中している地域またはその付近に軍事目標を設けることを避ける』に反している」と説明した。さらに、「血縁社会の中で反対の声は上げにくい。宮古島民5万人の避難をどうするのか。自衛隊に出て行ってもらうのが安く安全な方法だ」と訴えた。翌日タクシーで島内を巡った折、強風の中、訓練所門前でのぼり旗を掲げ、パイプ椅子に座って抗議行動をする下地さんらに再会した。

保良の次に向かったのが、島内の中心に近い野原地区にある航空自衛隊レーダー基地。遠くからも大きな球体や円筒形が載ったレーダーが見える。近くで車を降りて話を聞いたが、これらの電波傍受装置からは高周波の電磁波が出ており、近隣住民の健康被害が懸念されている。

サトウキビ畑を抜けて2008年に建設された宮古島の日本軍「慰安婦」の「アリランの碑」に立ち寄る。そして千代田地区の畑の中に忽然と、ミサイル部隊が駐屯する陸上自衛隊宮古駐屯地が現れた。保良から10台近い車両で弾薬を運び、ミサイル基地の発射車両でミサイルを飛ばすというのだ。沖縄風の赤い屋根にベージュの建物は一見集合住宅かと思えるが、何とも物騒なものが出現している。この駐屯地から僅か100㍍以内にも民家がある。ここでも住民の安全は全く考えられていない。


宮古島では、降った雨が琉球石灰岩に浸透し地下水となり、下の泥岩層に沿って海に流れ出していた。2000年、その流れをせき止める巨大な地下ダムがつくられ、島の命の水となっている。当初は水源であるこの地下ダムの上にミサイル基地の建設が提案されていたのだ。さすがに撤回となったものの、このミサイル基地はそこから1㌔しか離れておらず、水源の汚染も心配されている。

宮古島は山もなく平らな島。のどかだった島が、自衛隊の配備で有事の最先頭に置かれていることを実感した。

(柚木 康子)


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