私たちはいつ「軍拡」を許したのか ──「経済安保法」があるこの国で考えなくてはならないこと


 



ロシアによるウクライナ侵攻についての、友人の言葉が忘れられない。

「ロシアには超えてはいけない一線、自分が逮捕されてでも、抗うべき瞬間があったはず。それが何だったのか、知りたい」と。

それから私は、「日本にもその一線があるはずだし、その一線を見極めないといけない」と考えている。「逮捕されてでも」とは不穏だが、そうなるもっと早い段階から「NO」を言わなくてはならないだろう。

しかし、既に遅いのかもしれない、という思いも拭えない。

本当に復興に資するのか

福島イノベーションコースト構想(以下イノベ構想)、福島国際研究教育機構(Fukushima Institute for Research, Education and Innovation/通称エフ・レイ)について調べ始めたのは、今年5月のことだった。ちょうどその頃、国会では、経済安全保障推進法(経済安保法)と国際卓越研究大学法(稼げる大学法)、重要土地規制法、福島復興特措法改正のことなどが議論されていた。

イノベ構想や、エフ・レイについては、本連載でも取り上げてきたが、「福島県浜通り」や「原発事故」という視座ではなく、幅広く見ていくと、政府が国として進めたいこと─先端的技術を軍事に利用したいという思いが透けて見えてくる。

特に、経済安保法が成立(一部施行)してしまった以上、イノベ構想やエフ・レイについては、懸念がいくつかある。本当にそれが地元住民の復興に資するのか、ということだ。もし本当に復興のためならば、政府がやらなくてはならないことがある。

まず、福島の浜通りの「復興」を語る以上、復興予算で軍事研究を行なうべきではない。そして、復興特措法を再度改正し「復興と平和に資する研究のみを行なう」と明記することだ。

防衛装備庁資料に見えるもの

原発事故後、放射能汚染について不安を語ると「風評被害」と攻撃する人たちがいた。そういった人たちに対しては、数値をもって不安は根拠(事実)に基づくと示すことができた。

仮に、このイノベ構想やエフ・レイにおいて「軍事研究が行なわれかねない」と指摘することを「風評だ」と攻撃されても、経済安保法がある以上、証拠を示すことが難しい。「守秘義務」や「特許非公開」があるからだ。どのような研究開発を行なっているのか、知る術がない。

だからこそ、「平和のために」「社会のために」「復興のために」と熱意を持つ研究者たちが軍事研究を行なっていると言われないために、復興特措法に「復興と平和に資する」と明記することが非常に重要だと、取材を進めるほどに思う。

例えば、エフ・レイに統合される南相馬市の福島ロボットテストフィールドは、防衛装備庁も利用している。いったい何を行なっているのか、開示請求をした。

まず驚いたのは、一部不開示の理由だった。「国の安全を害するため(不開示)」と書かれていた。つまり、そこには国防のための軍事的な情報が含まれている、ということだろう。

また、開示された部分についても、軍事をにおわせる内容がいくつかあった。そのうち2つを左の写真に示した。そこには「島嶼防衛」「デュアルユース(民生/軍事の両用)」という言葉が出てくるのだ。







「島嶼防衛」とは、2021年防衛白書によると、「島嶼部を含むわが国への攻撃に対しては、必要な部隊を迅速に機動・展開させ、海上優勢・航空優勢を確保しつつ、侵攻部隊の接近・上陸を阻止する。海上優勢・航空優勢の確保が困難な状況になった場合でも、侵攻部隊の脅威圏の外から、その接近・上陸を阻止する。万が一占拠された場合には、あらゆる措置を講じて奪回する」とある。防衛装備庁の資料には「災害用」だと示すものが多いのだが、少なくとも「島嶼防衛」と書かれた以上、それは軍事だ。
また、デュアルユースについては「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」第2回(2022年10月20日)で経産大臣が「防衛力を支える産業・技術基盤の強化に向けて」と題し、「先端的なデュアルユース技術開発を推進したい」旨の発言をしている。
これを受け、同月28日には、読売新聞は社説で「日本の学術界は、『戦争に加担することになる』といった理由で、防衛関係の研究に消極的だ。だが、既に最新鋭の戦闘機や護衛艦には、電子機器など様々な民生品が使われている。旧態依然とした考え方は通用しない。科学技術政策に、安全保障の視点を取り入れることが重要だ。(中略)政府は、大学の研究開発を後押しするため、10兆円規模のファンドを設け、数校を指定して支援する方針だ。自由な発想に基づく基礎研究を、防衛装備品の開発にもつなげていくことが大切だ」と述べている。
私たちは、いつ軍拡を許したのだろうか。

国民を愚弄する政府

時系列で追ってみると、一つの傾向が見えてくる。それは、「明文化しなくても、できるようにする」という国会軽視と民衆愚弄の有りようだ。
例えば、憲法9条に明文化されなくても戦争ができるようになってしまった安保法制。あるいは、既存の手順でなくても学位が取れる仕組み。国からの研究費ではなく、民間資金で進む「産官学連携」という名の研究の不透明化。あるいは、「経済安全保障」という「経済」を装って通過した軍拡への道。それは「復興」という言葉の陰にも隠れるのかもしれない。
ヘルマン・ゲーリング(ナチス・ドイツの最高幹部)の言葉を思い出す。
「反対の声があろうがなかろうが、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単です。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。そして国を更なる危険にさらす。このやりかたはどんな国でも有効ですよ」(ニュルンベルク裁判での発言)。
いま、毎日のように、台湾有事、北朝鮮ミサイル、ウクライナ侵攻の報道がある。
この国の方向性が正しいのか、立ち止まって考える時ではないだろうか。
(吉田 千亜)

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