【連載:わたしのからだ わたしが決める】①「わたしの からだ」は反権力


岩崎 眞美子(いわさき・まみこ)

1966年生まれ。フリーランスライター/編集者。

SOSHIREN、「#もっと安全な中絶をアクション」メンバー。




 ♥「リプロ」との出会い

リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)という言葉に私が初めて出会ったのは90年代半ば位だったように思う。その頃の私はまだ20代。10代の頃からの自虐的で屈折した自意識をバリバリに引きずっていた。ひとことで言えば、自分の「女のからだ」が、いやでいやでしょうがなかった。

「男の子みたい」と言われて育ち、自分でもそれを気に入って一人称は「ボク」。そんな私が、中2で初潮を迎えたとたんに体型が激変、過剰に膨らんだ大きな胸に耐えられなかった。親が期待する「女の子らしさ」に合致しない自分、クラスの残酷な男の子たちに「ブス」と言われ続けたことは、思春期の私にとって「おまえは女ではない」という世間からの査定であり、自分でもそう思っていたのに、人一倍女っぽい体型なのが耐えられなかった。

ここまで極端ではないにせよ、このような体験は、この社会で「女のからだ」を持って生まれた人なら誰もが一度は通過するものなのではないだろうか。性別違和を抱えるトランスジェンダーの方たちならなおさらだが、シスジェンダーであっても、世間が認める「女」であるかどうかをジャッジされ続ける社会は、生きるに負荷が多すぎる。

前置きが長くなったが、そんな私を解放してくれたのが、リプロの概念だった。「わたしのからだはわたしのもの」。「産む産まないはわたしが決める」。毎月の面倒くさい生理とPMS(月経前症候群)
は、「子どもを産むため」のものではなく「わたしのからだ」からの定期通信であり、「ブスにその胸、無駄」と言われた大きな胸も、男からの査定や″いつか産む”赤子のためのものではない「わたしのからだ」そのものなのだ。そんな当たり前のことにやっと気づけて、私は自分のからだを、少なくとも嫌いではなくなった。それは、リプロの運動を通して多くのフェミな先輩方のパワフルで自由な生き方に出会ったこともとても大きい。

♥SOSHIREN

先月、私も参加しているSOSHIREN(ソシレン)が、多田謡子反権力人権賞を受賞した。ソシレンは、1982年の優生保護法改悪に反対して生まれたグループで、刑法堕胎罪の撤廃など、リプロを巡る様々な問題と向き合ってきた。その40年間の活動を評価されたのだ。

ソシレンのキャッチフレーズは「女(わたし)のからだから」。この言葉は、メンバーが1984年の第4回女と健康国際会議に参加したときに出会った「リプロダクティブ・フリーダム」を「のからだはのもの」と訳したことから生まれた。

産もうと産むまいと、性自認が女であろうとなかろうと、自分の体は自分のもの。そんな当たり前のことをずっと言い続けなければいけない現状が、この国には未だにある。

望まない妊娠で、産まない選択をした女性が罰せられる刑法堕胎罪が今も残り、WHOも「安全で効果的な中絶法」として認め、世界80カ国以上で認可されている経口中絶薬もなかなか認可されない。母体保護法上中絶で許されているのは「身体的経済的理由」もしくは暴行や脅迫による望まない妊娠のみ。その場合でも、中絶は「配偶者」の同意がなければできない。

♥女への様々な圧力

女性の「産む産まない」をめぐる法律や制度のおかしさを見ていくと如実に浮き上がってくるのは、「女にひとりで決めさせてはならない」という国家、そして家族、配偶者、パートナー、社会からのパターナリズム的圧力だ。母体保護法の「保護」とは、「女にまかせておくと信頼できないから俺たちが決めてあげる」という圧力にほかならない。

ファシズムの足音が大きく響くようになってきた今の日本で、「わたしのからだから」声をあげることの大切さを痛感する。小田実が「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」と言ったように、ただひとりの「わたし」が、自分のからだを自分のものだと自覚し、信じること。私たちの存在そのものが、抵抗であり、反権力の旗印なのだと思う。

ということでこれから1年、リプロをテーマに発信していきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします!

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