宗教右派と自民党の国家観にNO!  個が尊重されるために




山口智美(やまぐち・ともみ)さん


モンタナ州立大学社会学・人類学部教員。日本の社会運動を研究テーマとし、70年代から現在に至る日本のフェミニズム運動、2000年代の右派運動などを追いかけている。共著に、『社会運動の戸惑い』(斉藤正美・荻上チキとの共著、勁草書房2012)、『海を渡る「慰安婦」問題』(能川元一・テッサ・モーリス-スズキ・小山エミとの共著、岩波書店2016)、『宗教二世』(荻上チキ編、太田出版2022)など。



昨年7月の安倍元首相銃撃事件以降、旧統一教会と政治との関係に注目が集まるようになった。そして、「家族」をめぐる政策への影響にも少しずつ関心が寄せられるようになってきた。

2015年の名称変更を経て、現在の旧統一教会の正式名称は「世界平和統一家庭連合」(略称「家庭連合」)である。教団にとって「家庭」が最重要の位置付けであることが明らかであり、旧統一教会は2000年代に激化した男女共同参画や性教育へのバックラッシュ(反動)をリードした組織でもある。

旧統一教会の家族観

2022年10月には、2001年の衆院選の際に、自民党の一部議員と旧統一教会の関連団体「世界平和連合」の間で、実質上の政策協定といえる「推薦確認書」が交わされたと報じられた。推薦確認書には5項目が含まれていたが、そのうち「家庭教育支援法・青少年健全育成基本法を制定」及び「LGBT問題、同性婚合法化の慎重な扱い」という2項目は、家族に直結する内容だ。そして、「憲法改正」項目についても、旧統一教会は24条に家族保護条項を盛り込む主張を行なっており、「家族」との関連は深い。

2016年、東京都渋谷区の「同性パートナーシップ」制度の導入について話を聞こうと、旧統一教会の本部に共同研究者の斉藤正美と共に行き、広報担当者に取材したことがある。その時に渡された広報文書によれば、教団は「家庭」が「社会の基本的な単位」であるべきと考えており、結婚は男女間に限定されるべきもので、同性婚は決して認めるべきではないのだという。さらに「三世代同居理想的な家庭像である」とも書かれていた。

私が旧統一教会の関係者に聞いてきた話からも、同性パートナーシップや同性婚に反対するのは、一夫一婦制に基づいた、彼らが考える「理想的な家庭」のあり方と矛盾しており、それを崩壊に導くと考えることが大きな理由として挙げられていた。

自民党改憲草案における24条

多少の違いはあっても、こうした家族観は自民党をはじめとした他の右派勢力の家族観にもかなり共通して見られるものでもある。

例えば、自民党改憲草案の24条部分には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」という文言があり、日本会議系「美しい日本の憲法をつくる国民の会」も「家族は国家社会の基礎をなす共同体」と定義づける。また、最近神社本庁などの日本会議系の右派も、反LGBT、反同性婚の立場を強めており、今年6月に自民党議員が多く参加する「神道政治連盟国会議員懇談会」の会合で、LGBTへの差別的な内容が書かれた冊子が配布されたことはその一例だ。

その冊子の中で、筆者の弘前学院大学教授は、同性婚の合法化や差別禁止法の制定により「伝統的家族制度の解体」が起き、「家族と社会を崩壊させる社会問題」となり「国家存亡の危機」につながると主張。また、右派論者の八木秀次麗澤大学教授も、婚姻の本質は「子どもを産み育てるための制度」であるとし、LGBTは、家庭が深刻な病理に陥っていることの表れだとする。

宗教右派や自民党の右派勢力は、多様な家族のあり方を認めず、選択的夫婦別姓や同性婚の法制化などを求める主張に対して「家族の崩壊」という常套句を使って危機感を煽りつつ、「国家」や「社会」の存亡にもつながるなどとして批判し、制度の導入を阻止し続けてきた。

今も生き残る40年前のゾンビ

こうした右派の家族像の源流は、1979年に大平正芳内閣が発表した自民党「家庭基盤の充実に対する対策要綱」である。

大平首相は「日本型福祉社会」を掲げ、責任と負担・自助・相互扶助を強調した。福祉の担い手を国家よりも個人や家庭、地域などに想定し、家庭教育の強化や、「家庭の日」という新たな祝日の導入などを提案した。当時の女性運動は、この政策が女性にばかり家事労働を強いる性別役割分業を助長するものだと見抜き、抗議運動を起こした。結果として「家庭の日」の導入は見送られ、大平首相の急死もあり政策も具体的な実現には至らなかった。

だが、高橋史朗氏や八木秀次氏などの右派論者らは、現在もこの大平時代の家族政策を高く評価しており、旧統一教会系の平和大使協議会も「家庭基盤充実」を目標として掲げている。40年前に提案された政策目標が、自民党に近い右派の間で、ゾンビのように生き残っているのだ。

結局、新たに「家族の日」が第一次安倍政権のもとで導入され、家族や地域の大切さ等について理解の促進を図る日だと定義づけられた。内閣府は「家族の絆を深めよう」をテーマとした家族の日フォーラムや、家族の日作品コンクールなどを開催している。

家庭教育の強化についても、2006年、第一次安倍政権のもとで改正教育基本法により、新たに第10条として「家庭教育」の項目が導入された。民間では、高橋史朗氏らが「親学」を展開し、家庭教育支援の法律や条例づくりの動きも進められていった。

現在10県6市で制定されている家庭教育支援条例は、「家庭の教育力の低下」が起きているという前提のもと、各家庭が家庭教育に対する責任を自覚して、それぞれの役割を認識すべきとし、保護者や自治体によっては祖父母などの役割などを定めるものだ。

「国家」のための子ども 

また、2014年秋から自民党は家庭教育支援法案の検討を開始し、2016年には法案の「未定稿」を公表した。その中には「子に国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」という文言が含まれていた。翌2017年の素案からはその文言は消えたものの、この「国家の形成者」としてという文言に、自民党の目指すところの本音が表れているように思える。

すなわち「国家」のための子どもを育てる「家庭教育」ということだ。そして、家庭教育支援法制定を目指す意見書の可決や、家庭教育支援条例制定への働きかけを地方議員に行なってきたのが旧統一教会であり、それが自民党との「推薦確認書」にも含まれたという流れだった。

宗教右派や自民党が掲げる「家族」は、多様な家族や性のあり方を認めず、役割を特定のあり方に固定化するものだ。だが、安倍晋三元首相の銃撃事件で明るみになったのは、多様な「家族」や個人のあり方が否定されてきた中で、「家族の絆」によってがんじがらめにされ、苦しんできた人たちの存在だ。「家族」を本当の意味で崩壊に導き、個人を苦境に陥れ、性差別社会を作り上げてきた「家族観」や「国家観」はもういらないと、大きな声をあげていかなくてはならない。

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