科学と戦争 大軍拡に科学者が加担しないために



井原聰(いはら・さとし)さん

東京工業大学で科学史・技術史を学び、茨城大学理学部教授、東北大学国際文化研究科教授、東北大学学際高等研究教育院長、現在東北大学名誉教授、大学フォーラム事務局長


ある日突然、大学の一研究者に内閣府から「貴殿の研究が特定重要技術に認定されました。研究開発協議会という制度がありますので、この制度を使いませんか」「この協議会は貴殿の研究推進のための組織となります。研究資金も豊富に支援できます」「研究推進・管理に国が協力し、官民伴走もします」「政府が所有する、貴殿が最も必要とする情報を提供します。漏洩の場合、罰則はありますが、機密情報を含まない研究成果の発表なら自由です」と声がかかったとしたら、研究者はどうするでしょうか?

困窮する大学では、外部から研究費を取ってこないと研究ができません。そのため、文科省の科研費や他の省庁の委託研究費等の国費、民間の研究費を得て研究が行なわれています。国費で行なわれていて特に優れた先端技術研究には、前記のような誘いをかけることができるようになりました。

「特定重要技術」の意味を一知半解のまま、研究資金が豊富などと言われると触手が動き、多くの研究者が承諾してしまうかもしれません。「特定重要技術」だと目利きをして、このような誘いをかける制度(経済安全保障推進法以下、経済安保法と略)が2022年5月に作られてしまったのです。

研究者を誘い込む手口

実はここで言う「特定重要技術」は、経済安保法では「将来の国民生活及び経済活動の維持にとって重要なもの」ときわめて漠然とした経済施策の顔をした定義でした。しかし、2022年9月30日に閣議決定された「基本指針」では「技術や情報が海外に流出した場合、国家及び国民の安全を損なう事態を生ずるおそれがあるもの」とされました。

「国家及び国民の安全」という枕詞がつくと、多くの場合、国家安全保障に関連します。「特定重要技術」とは先進技術・先端技術、はたまた新興科学技術を指し、「国家及び国民の安全を損なう」ことになる技術、つまり防衛装備技術=軍事技術を指すといってもよいでしょう。防衛省とはかかわりがないので、研究者を誘いやすいシステムです。「特定重要技術」と称して軍事技術研究開発に誘い込むもので、既にこのために5000億円もの基金が予算化されました。

国会の審議やマスコミの報道などでは、その多くが経済施策に係るものとされていた法案でした。ロシアのウクライナ侵攻、米中対立、台湾情勢の「緊迫化」、北朝鮮のミサイル発射実験に乗じて、軍拡路線に拍車をかけた自民党・政府は、あたかも経済制裁に強い国づくりと称して軍事技術研究開発システムを組み込んだのです。

安保3文書の大改訂

私は国会の衆議院内閣委員会(2022年3月31日)に反対意見を述べる参考人として呼ばれました。科学史・技術史を研究してきた者として、また在職中若手研究者の育成に関わってきた立場から協議会について若手研究者を巻き込んだ軍事研究開発につながる制度に反対し、政府が社会実装を迫るやり方は厳に戒められなければならないと批判しましたが、残念ながら採決に反対した党は共産党、れいわ新選組だけでした。

2022年12月に発表される国家安全保障戦略3文書の大改訂には、国際協調主義による外交努力ではなく、米国の核抑止を前提に、反撃能力、敵基地攻撃能力、産官学自(自は自衛隊)一体となり、防衛生産力・技術力の抜本的強化で優位に立つために科学者の動員、軍事専門の研究所やシンクタンクの創設などが大軍拡路線の要として記されるかもしれません。

「科学者の国会」ともいわれる日本学術会議が、大学人に向けて「国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係」にあり、軍事的安全保障研究にくみするのは危険だとする声明を出したのは2017年3月のことでした。これは防衛省が、大学や研究機関の研究者に向けて2015年に創設した「安全保障技術研究推進制度」という研究公募制度を作ったことに対抗するものでした。

ユネスコと日本学術会議

同じ年(2017年12月)、ユネスコ(国連教育科学文化機関)は、国際連合憲章が宣言している国際平和および人類の共通の福祉という目的を促進することを求めて「科学及び科学研究者に関する勧告」を出しました。

その中で「科学技術の発展が人類の福祉、尊厳及び人権を損なう場合また″軍民両用”に当たる場合には、科学研究者は、良心に従って当該事業から身を引く権利を有し、並びにこれらの懸念について自由に意見を表明し、及び報告する権利及び責任を有する」と表明したのです。これは「軍民両用の研究だが、自分の研究は民用なので許される」では済まされない内容を含んでいます。この勧告を出したユネスコの総会は、科学や技術の発達は人類の利益、平和の維持、貧困・格差の撲滅や国際的緊張の緩和のためにこそあるとしました。

岸田政権が目指しているのはこれとは正反対で、科学者を戦争に駆り立てる「かつて来た道」です。

ユネスコの前身は、当時国際連盟事務次長だった新渡戸稲造が奔走して1922年に創設した「国際連盟知的協力国際委員会」(委員として哲学者ベルグソン、アインシュタイン、キュリー夫人らが名を連ねた)でした。日本は国際連盟脱退後も、戦争のため活動が休止するまで、この委員会には加わり学術・文化・教育交流にかかわっていました。

1946年11月には平和憲法が公布され、同年、第二次大戦の反省の上に「諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の促進を目的とした国際連合の専門機関」として先の国際委員会はユネスコとなりました。

1947年、ユネスコの8人の社会科学者の「声明」が出され、GHQから岩波書店を通じて日本の知識人に流され、大きな話題を呼びました。

平和問題討議会(後に懇談会。安部能成、天野貞祐、末川博、 富山小太郎、仁科芳雄、久野収、新村猛、矢内原忠雄、笠信太郎、都留重人、 島恭彦ら50余人、日本学術会議創設に係った者が多い)が、1948年12月に「戦争と平和のための日本科学者の声明」を出しますが、同時期に「世界人権宣言」も発出されました。

日本学術会議の設立総会(1949年1月)は、こうした環境の中で開催され「発足に当たっての科学者としての決意」が表明されました。わが国の平和的復興と人類の福祉増進、憲法に保障された思想と良心の自由、学問の自由、言論の自由の確保が宣言されました。国際的な戦前の反ファシズム運動や知識人の活動の経験などもこの決意に生かされ、今に、ますます輝きを増しているといえます。

今日、これを堅持する日本学術会議を無力化しようとする策謀と合わせた形で研究者の軍事動員が進められています。科学者がこの動きに加担しないよう、市民の支援が求められます。


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