奪われたくらし  原発被害の検証と共感共苦(コンパッション)刊行1周年記念




宇都宮大学では毎年2月頃に原発事故を考えるシンポジウムが開催される。今年は「『奪われたくらし 原発被害の検証と共感共苦(コンパッション)』刊行1周年記念 オンラインシンポジウム」が2月23日に行なわれた。「コンパッション」とはしばしば「同情」と訳されるが、パッションには「情念」と「受難」の意味があることに着目し、「共感共苦」と訳された。つまり、他者の苦難の問題を自分ごとにするのが「コンパッション」と捉えられている。


●「何でこうなったかな」


シンポジウム冒頭、髙橋若菜さん(宇都宮大学国際学部附属多文化公共圏センター長)の報告で、「なんでこうなっちゃったかな。当たり前に暮らしたかっただけなのに」という言葉が紹介された。泥遊びが好きな子どもに何時間でもつきあうお母さんが、事故後、外遊びをやめさせなくてはならず、さらに子どもの健康異変を感じ、誰にも理解されないまま避難を決意した。知らずに子どもを被曝させてしまったことへの強い悔恨を抱え、自然の中でのびのび子どもを育てたいという「当たり前」と引き換えに、女性は平穏な家庭やくらしを失った。金銭的にも精神的にも追い詰められ、今なお苦しみ続けているという。

髙橋さんや清水奈名子さん(宇都宮大学国際学部准教授)、阪本公美子さん(宇都宮大学国際学部准教授)他4人の学者らは、新潟県の3点検証(避難委員会、健康・生活委員会、技術委員会)のうち、健康・生活委員会の「子育て世帯の避難生活に関する量的・質的調査」を請け負った。新潟県のホームページでも公開されている。


●「離婚届が届きました」


調査の中で、個別インタビューの言葉は印象に残るものが多かった。

「去年の夏から『早く荷物持っていけ』『子どもは連れてくるな』とメールで言われています。義父母は孫のことが好きだから、『会うと気持ちが動揺して具合が悪くなる』『生活を乱すな』と」

「夫とは、去年の夏から電話で話すことはなくなりました。メールでやり取りをするだけです。借上げがなくなる4月に帰ってこないなら離婚だと、去年9月に離婚届が届きました」

「何でこうなったかな。守りたいものを守りたかっただけなのに。壊したくはなかったのに。やっぱり、自主避難だからこうなったのかな。避難指示があって、家族丸ごと避難だったら、こうはならなかったなと思ったりします」

「離婚の話が出る前に一度だけ、夫から、淋しいから帰ってきてほしいようなことを言われたことがあります。その時に戻っていたらどうなったかなと後から思った時もありますが、戻れないですよね」

そういった、本音の言葉がたくさん紹介された。


●自己責任と不可視化


調査の結論として、「個人的な問題ではない被害」が強調された。

また、新潟県の総括的な検証の中で、健康・生活委員会 生活分科会の座長、松井克浩さん(新潟大学教授)は「空間的・時間的にどのような切り口から見ても、依然として被害が深刻で、回復が難しいことが明らかになっている。被災者の生活再建は思うように進まず、故郷や人生の喪失、人間関係の分断に苦しみ、現状にも将来にも多くの不安を抱えたままである。その上、こうした被害は周囲から理解されず、自己責任で抱え込まされる傾向にある。そのために被害の不可視化も進む」とまとめている。

清水さんも報告の中で「避難の自己責任化(必要のない避難を続けている)」といった認識が、「話しにくい」という被害を生む。国が被害の不可視化を進めることが、無理解と差別を増幅させていると指摘した。


●ともに抗い、ともにいる力


冒頭に紹介した「コンパッション」という言葉は、関礼子さん(立教大学社会学部)が「歴史的に作り出されてきた国家やマジョリティによる構造的な暴力への批判的視点」と「『他者』の声に耳をふさぐことで日々侵されている加害への視点」に気づかされる重要な考え方だと語った。まさに、原発事故は国家的な暴力であり、共感されないことによって被害者が「語れなくなる」ことは、第三者が「加害」行為を行なっているに等しい。

シンポジウムの最後に、髙橋さんが、社会的正義の底上げに向けて、可視化させること、知ること、他者に関わり、ともに抗い、ともにいる力(=コンパッション)の大切さに触れた。髙橋さんは、新潟避難者訴訟においても、国・東電側の代理人に毅然とした態度で臨み、避難者の苦しい現状を裁判官に訴えていた。その姿を思い出した。

被害者の視点から発信し続ける学者の存在が心強い。関心のある人は、ぜひ本も読んでみてほしい。

(吉田 千亜)

 

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