「加害者」と言われるのは嫌だし  好きにしゃべらせてほしいーーNPO法人3・11甲状腺がん子ども基金「当事者の声をきく」




3月25日、郡山市のミューカルがくと館で、NPO法人3・11甲状腺がん子ども基金シンポジウム 「原発事故と甲状腺がん 当事者の声をきく」が開催された。基金は、2011年の福島原発事故以降に甲状腺がんと診断された子どもを支えるために設立。療養費給付事業「手のひらサポート」の支援を受けた子どもは180人にのぼる。

2年前、初めてオンラインで顔と名前を出して登壇した林竜平さんは会場で参加し発言。女性当事者からのボイスメッセージ、そして鈴木さん(女性)がオンラインで発言した。

シンポジウムは、基金データから見る「過剰診断論」の問題点について、崎山比早子さんが報告。また、吉田由布子さんが「手のひらサポートアンケート2022」に寄せられた声を紹介した。第2部では、富田哲福島大学教育推進機構特任教授や高橋征仁山口大学人文学部教授が発言の後、当事者に質問をした。

●生きるのに必死だった

「どんな言葉に勇気づけられたか」という問いに対し、鈴木さんは「私の周りには甲状腺疾患の人がいなかったので、アンケート(基金が実施)を読むことで、『私だけじゃない』と勇気づけられた」と発言。「毎日毎日、生きるのに必死だった」という鈴木さん。家族の反応から、「この状況は大変なことなんだ」と実感していたという。

●SNSと乖離した現実

SNS上では、甲状腺がんに対して「原発事故との因果関係はない」といった一部の一般人からの反応もある。昨年1月、首相経験者5人が「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しんでいる」という書簡を欧州連合(EU)の執行機関・欧州委員会に送ったことに対し、現職の国会議員や内堀雅雄福島県知事が「誤った情報」「不適切」「遺憾」等と抗議もしている。

しかし、実際には現在345人の甲状腺がん当事者がおり(2023年3月22日)、「誤った情報」でも「不適切」でもない。むしろ為政者のそのような反応で当事者が孤立しかねず、適切な支援施策もできなくなる。

この日、大手メディアの記者からは「風評加害」という言葉や、SNSでのバッシングによる「語りにくさ」ついてどう思うか、という質問があった。

「伝えづらい、精神的に言いたくないではなく、言っても伝わらない、だと思います」と林さん。

他県から来た同級生にとっては「わかんねーよ、がオチ」だ。しかし、「忘れ去られるのが一番悲しい。過剰診断も原発との関連もありのままを報道してくれれば、当事者も話しやすい」と林さんは言う。林さんの場合は「どうしたの、その傷」と聞かれる会話から自分の状況を知ってもらうこともある。「風評加害」という言葉に対しては「『加害者』と言われるのは嫌だし好きにしゃべらせてほしいとは思います」と苦笑い。

一方、鈴木さんも「特に話しづらいと思ったことはなく、首の傷も隠してないので、聞かれたら答えるようにしている」と話す。「体調どう?」と気にかけてくれる人が多いので、そこで自分の気持ちを話せている、という。

為政者や一部学者らが作り上げた「風評加害」が、いかに虚像であるかがわかる。SNSの議論だけで物事が判断され、それが政策に反映されて、「風評対策」として莫大な税金が広告代理店に流れているのだ。

●知り、関心を持ってほしい

裁判に関わっていない甲状腺がん当事者は、どう裁判を見ているのか、という質問もあった。

鈴木さんは裁判を報道で知り、福島県内の甲状腺がんの発症率の高さが周知され、関心を持つ人が増えてほしいと思った、と語った。また、原告が頑張っている姿に「勇気をもらった」ともいう。「真実を知りたいというのは原告と同じ気持ち」だといい、鈴木さん自身も「自分たちのことを知ってほしいし、甲状腺がんに罹患した他の人たちのサポートをしたい」と発言した。

●がんになったことは事実

この日、浪江町から関西に避難を続ける菅野みずえさんも参加していた。第一声、「大人としてごめんなさい」と謝っていた。菅野さんも甲状腺がんに罹患。原発事故直後、放射線量の高いところに滞在し、スクリーニング場で測定器の針が振り切れた。しかし、その記録すら手元にはない。

菅野さんは「発信すると『風評加害者』とバッシングされることもあるが、私ががんになったことは事実」と語気を強める。

経験すら「風評」と言われるおかしな状況。12年を経てもなお、為政者や一部学者の理不尽さとの闘いは続いている。

(吉田 千亜)


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