「命の線引き」する政治を変えたい


 


イエール大学での学び(人類学・哲学)を終え、5月半ば、地元大阪に帰ってきた。帰国してから沖縄の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんと国との意見交換会に参加したり、入管法改悪反対の運動に参加したりしていると、あっという間に1カ月が過ぎた。沖縄のことも、入管法のことも、取り組めば取り組むほど日本政治の非人道性を思い知らされる。

2021年、卒業論文の調査とコロナ禍が重なり休学している間、辺野古新基地建設の埋め立てのために沖縄戦没者のご遺骨と血肉が染み込んだ沖縄島南部の土砂が使われるという話が持ち上がった。同年3月、具志堅隆松さんがその土砂採取計画の中止を求めてハンガーストライキを始めた際、私は「日本政府が沖縄に押しつけた人道問題に抗議する負担を沖縄の方々だけに押しつけることは不正義だ」と考え、遺骨土砂問題に反対する意見書を沖縄県外の自治体で通す運動を始めた。

そうこうしているうちに、琉球弧の島々への自衛隊とミサイル配備が強行され、「再び沖縄戦が起こされるのではないか」と地元の人たちが怖れるまでの状況になった。今や辺野古新基地建設や遺骨土砂問題だけに反対するのでは足りず、「再び戦没者が作られるのを止める」運動をせざるを得ない。

「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を引き継ぐ沖縄の人々にとって、政府の大軍拡は生存上の脅威だ。敵基地攻撃能力を備えた長距離ミサイルが配備されるという話もあり、万一有事となれば、沖縄は真っ先に戦場にされかねない。住民が避難できる可能性もほぼなく、弾薬庫等が攻撃を受ければ水質汚染が起き、島には人が住めなくなる。これほど深刻な問題なのに、国はまともな住民説明会すら開かない。「沖縄差別」としか表現できない横暴だ。

この国の政治は、「犠牲にできる命」と「守るべき命」をくっきりと線引きする。「安全保障」の名の下で沖縄の軍事負担を増やそうとする政府にとって、沖縄の人々の命は安全を保障すべき命ではないのだろう。入管法に関しても同じであり、政府は「国家にとって好ましくない」外国人の命は守らなくて良い、と平気で言っている。一度国策の犠牲にされた戦没者の遺骨の尊厳すら守らない国は、この先も平気で国のために人々の命を犠牲にし続けるのだろうか。

私がアメリカの大学に入学したのは2017年、ちょうどトランプ大統領就任の年だ。彼はアラブ諸国やメキシコ、中南米からの移民らをテロリスト・レイピスト等とラベリングし、排外主義を進めた。当時日本では彼の政治を批判的に報じていたようにも思うが、今の日本の政治はトランプの手法と何ら変わらない。

私の地元大阪は、特に課題山積だ。沖縄について言えば、大阪府警機動隊員が高江のヘリパッド建設に反対する沖縄の人々を「土人」呼ばわりした際、当時の松井一郎府知事は「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました」「鬼畜生のようにたたかれるのはちょっと違うんじゃないか。相手もむちゃくちゃ言っている」と「土人」発言を擁護した。入管法を巡る審議で支援者側に問題があるかのような発言をした梅村みずほ議員も大阪選出だ。権力者の横暴は追及せず、むしろ横暴から命や人権を守ろうと声を上げる人に対する差別・敵視を煽る。既に様々なルーツの人が共生しているはずの大阪が差別と人権侵害の主生産地になっている現状は、なんとしてでも変えたい。

これからは大阪で仕事をしながら、社会運動の現場に立ち続けるつもりだ。今の息苦しい政治を必ず変える。その信念を貫き、地道な活動を重ねたい。

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