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ブログ移行中です(2023年10月23日)

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  現在、noteに「I  女のしんぶん」のブログ記事を移行しています。 https://note.com/w_newspaper1962/all 最新記事を随時更新しますので、noteをご覧ください。 「I 女のしんぶん」は、毎月10日、25日発行。年間5,448円(送料込)です。  購読申込はこちら → 03-3816-1862/info★ijosei.jp(★を@に変えてください)  noteでは、発行から2ヶ月後に「I 女のしんぶん」の内容の一部を転載します。

核のゴミをめぐる10万年先への私たちの責任

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美しい風景が広がる寿都町 奥に風力発電が12機もある 北海道町、村は、核ゴミの地層処分を巡り揺れている。2020年10月、寿都町長が独断で「文献調査」に応募した同日、神恵内村には経産大臣から申し入れがあり、村長が受け入れたのが事の発端だ。 「文献調査」とは、地誌や学術論文等で過去の地震・噴火等を調べ、地層処分に耐えうる地層かどうかを調査するもの。受け入れると交付金20億円がその自治体に入る。寿都町は町長独断、神恵内村は商工会が誘致を請願、村議会決議で話が進み、住民の意見は聞かれなかった。 「文献調査」を終えると、報告書がまとめられ、「概要調査」へと進む。概要調査では交付金70億円が自治体に入る。その後、県知事の承認を経て、核ゴミの地層処分が決定するという流れだ。 現在、寿都町と神恵内村は、「概要調査」の手前の段階。反対する住民らは、町が賛成と反対に分断される中で、核ゴミを持ち込ませないため、次世代のために声を上げている。 ●「自由に話せる空気がない」 本来、核ゴミの問題は、日本全体の問題であり、誰一人部外者ではない。 5月27日から北海道札幌市で行なわれた「どうする? 原発のごみ全国交流集会」(主催/原水爆禁止日本国民会議・北海道平和運動フォーラム・原子力資料情報室)では、10万年先の未来への当事者性を考えさせられた。 第一分散会では、寿都町と神恵内村の現状を寿都町民と神恵内村議が訴えた。NUMO(原子力発電環境整備機構)は住民自治に入り込み、核ゴミの賛否を差し置いて「未来のまちづくり」や、次世代(高校生)の議論に手を伸ばしているという。 神恵内村の土門昌幸さんは、唯一の反対派の村議。村議会では現状を知るための専門家要請もせず、国とNUMOによる説明会を一方的に受け入れた。反対派が意見を述べられる機会も雰囲気もなかったという。NUMO主催の村民との「対話の場」でも、表層的な説明が続き、村民同士が核ゴミについて自由に話せる空気がないと語った。 大串伸吾さん 「子どもたちに核のゴミのない寿都を! 町民の会」の大串伸吾さんは、寿都の水産物の魅力を語りながら、豊かな地域コミュニティが分断された状況を説明した。町長は「肌感覚」という言葉で過半数以上が文献調査に賛成だと豪語したが、2021年町長選挙の出口調査では文献調査賛成から最終処分受け入れまでの賛成を合わ

「関西生コン事件」と私たち  ジェンダー平等が働き方と社会を変えていく(ジャーナリスト 竹信三恵子)

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女性の無償労働が下げた日本の賃金 関西生コン事件は、生コン業界の運転手の労組「関生支部」(連帯ユニオン関西生コン支部)への弾圧事件だ。そう聞くと、「男の世界」の話? と思ってしまう。だが、事件から見えて来るのは、労組とジェンダー平等の密接な関係であり、女性の労働から出発した労働運動こそが日本の働き方を救う、という事実だ。 日本が「賃金が上がらない国」になったのは非正規労働者を増やしすぎたからだ、という言説は、今では一般的になった。だが、その奥に、育児や介護、家事等への公的支援が乏しく、女性の無償労働に丸投げするこの国の仕組みがあるということは、今もあまり共有されているとは言えない。 戦前の日本は、ほぼ10年ごとに対外戦争を繰り返していた。「家制度」は、その戦費のため、保育・介護等を全て女性に担わせて公的資金を節約するための装置だった。無償労働に足を取られて外で働けない女性たちは、「戸主」という男性の「扶養」に依存させられた。 そうした仕組みは、戦後も十分には転換されていない。女性を「扶養」するためとして、男性は安定収入や無期雇用を保障される一方、極端な長時間労働を引き受ける「正社員」を割り当てられてきた。 一方、女性は、無償労働の隙間に「パート」等の非正規労働者として働くことを余儀なくされた。低賃金で不安定で失業手当や年金もない「半雇用」の働き方だ。それは「夫の扶養があるから困らないはず」とする「夫セーフティネット論」によって、社会的な批判も受けずに広がった。 このような「仕事に見合った待遇がなくても困らない人」という仕分けは、外国人労働者(=困ったら故国に帰る人)や若者(=困ったら親が助ける人)にも及び、「半雇用」の増加の温床になった。さらに、製造業派遣の解禁などを通じ、男性が多い業界にまで波及し、非正規労働者は働き手の4割近くに達した。 特に問題なのは、それらが短期契約であり、契約が更新されないことを恐れて労組の結成をためらわせる働き方であることだ。つまり、憲法28条が保障した労働基本権を行使できないことであり、そのような非正規の7割が女性だ。賃金は労組を通じた賃上げ交渉がなければ上がらない。日本が「賃金が上がらない国」になったのも不思議ではない。 労働者を守る産別労組の力 追い打ちをかけたのが日本の労組の在り方だ。欧米で主流とされる産業別労働

「命の線引き」する政治を変えたい

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  イエール大学での学び(人類学・哲学)を終え、5月半ば、地元大阪に帰ってきた。帰国してから沖縄の遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんと国との意見交換会に参加したり、入管法改悪反対の運動に参加したりしていると、あっという間に 1カ月が過ぎた。沖縄のことも、入管法のことも、取り組めば取り組むほど 日本政治の非人道性を思い知らされる。 2021年、卒業論文の調査とコロナ禍が重なり休学している間、辺野古新基地建設の埋め立てのために沖縄戦没者のご遺骨と血肉が染み込んだ沖縄島南部の土砂が使われるという話が持ち上がった。同年3月、具志堅隆松さんがその土砂採取計画の中止を求めてハンガーストライキを始めた際、私は「日本政府が沖縄に押しつけた人道問題に抗議する負担を沖縄の方々だけに押しつけることは不正義だ」と考え、遺骨土砂問題に反対する意見書を沖縄県外の自治体で通す運動を始めた。 そうこうしているうちに、琉球弧の島々への自衛隊とミサイル配備が強行され、「再び沖縄戦が起こされるのではないか」と地元の人たちが怖れるまでの状況になった。今や辺野古新基地建設や遺骨土砂問題だけに反対するのでは足りず、「再び戦没者が作られるのを止める」運動をせざるを得ない。 「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を引き継ぐ沖縄の人々にとって、政府の大軍拡は生存上の脅威だ。敵基地攻撃能力を備えた長距離ミサイルが配備されるという話もあり、万一有事となれば、沖縄は真っ先に戦場にされかねない。住民が避難できる可能性もほぼなく、弾薬庫等が攻撃を受ければ水質汚染が起き、島には人が住めなくなる。これほど深刻な問題なのに、国はまともな住民説明会すら開かない。「沖縄差別」としか表現できない横暴だ。 ■ この国の政治は、「犠牲にできる命」と「守るべき命」をくっきりと線引きする。「安全保障」の名の下で沖縄の軍事負担を増やそうとする政府にとって、沖縄の人々の命は安全を保障すべき命ではないのだろう。入管法に関しても同じであり、政府は「国家にとって好ましくない」外国人の命は守らなくて良い、と平気で言っている。一度国策の犠牲にされた戦没者の遺骨の尊厳すら守らない国は、この先も平気で国のために人々の命を犠牲にし続けるのだろうか。 私がアメリカの大学に入学したのは2017年、ちょうどトランプ大統領就任の年だ。彼はア

「海洋放出反対」の声は誰が受け止めてくれるのか

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6 月12日、「政府交渉呼びかけ10団体」による、汚染水の海洋放出についての東電交渉が福島市で開かれた。東京電力からは、福島復興本社の4人が前列に座り、そのうち2人の名刺には、「リスクコミュニケーター」の文字。うち1人が終始マイクを握っていたが、政府も東電も、常に環境汚染と公害問題を * リスコミ(リスクコミュニケーション=下記注)で解決しようと考えているふしがある。 この日、福島県内外から多くの人がかけつけ、50席ほどあった会場は満席になった。 ●アンフェアなメディア規制 冒頭、いわき市議会議員の狩野光昭さんが要請文を読み上げると、東電側から「マスコミはここまで」という発言があった。会場には、大手メディア、フリーランス含め、7〜8人ほどのメディア関係者が集まっていた。メディア退場について、会場から「それはおかしい」という声があがり、「では、質問に対する回答まで(ならいいです)」ということに。準備した回答はメディアに聞かせるが、回答後の対話や質疑応答からは退場、という姿勢だった(実際には、回答だけで2時間以上を要し、メディアは最後まで残る結果になった)。 交渉以前に、このメディア規制には違和感を覚えた。汚染水の海洋放出については、テレビや新聞広告で電通が税金を使って大々的に安全キャンペーンを行なっている。反対する声やその「反対の根拠」が市井の人たちにほとんど知られていない状況でメディア規制をすること自体が、フェアではない。 そもそも「汚染水」を、閣議決定までして「処理水」と逐一訂正する言論統制も、本来なら言論の問題として議論されるべきものである。 ●漁連との約束反故に この日、若狭ネット資料室室長(大阪府立大学名誉教授・工学博士)の長沢啓行さんが緻密な資料をもとに、「サブドレン及び地下水ドレンの運用方針(東電、2015年9月)」に示された内容に反していることを指摘。また、トリチウム濃度を、基準値である1リットルあたり1500ベクレル以下にするために、トリチウム濃度の高い汚染水を集水タンクではなく「タービン建屋へ移送」していることを実施計画に違反する行為だと問題視した。 さらに、東電側が海洋放出を進める理由として挙げる「汚染水が発生し続ける」「廃炉作業のためにタンクの敷地を空ける必要がある」ということに対しても、実際は「数年、タンクは満水にならない」「

女性会議60周年記念シンポジウム 軍拡を止めるために何ができるか

6月24日、女性会議60周年記念シンポジウムが全水道会館(東京)で開かれ、会場とオンラインで約150人が参加。『軍事化と女性の人権』と題して、弁護士の中野麻美さんが基調講演を行なった。 * * * 中野さんは冒頭、日本が報道の自由度ランキング71位(2022年)であることを示し、その情報隠蔽体質こそ女性ジャーナリストへの性暴力を増長させている原因であり、報道の自由の再生を目指さなければならないと訴えた。 また、女たちの安保違憲訴訟の概要を説明し、安全保障の議論から女性を排除することによって平和を軍事におきかえ、女性の尊厳と平和的生存権を否定していること、騙し討ちで法律(安保法制)が策定されていった過程で、ジェンダー監査(ジェンダーの視点で政策等をチェックすること)がされなかったことを指摘した。 司法の場で、軍事化していく国の動きを「違法だ」と訴えても、「保護は必要なく、受忍すべき範囲」と一蹴。司法が職権化し、当事者主義を認めず「俺たちが決めてやる」という態度であること、「審議を打ち切るのも裁判所の裁量だ」といった態度であることに対し、「同じ職業の者(法律家)として恥ずかしい」と語った。 コロナ禍では、女性たちが複合的な影響によって不均衡な被害を受けていることも指摘。パンデミックのみならず、阪神淡路大震災、東日本大震災と原発事故でも女性は失業し、貧困に陥り、生存に不可欠な生活基盤へのアクセスが途絶えた。中野さんはそれらを「社会の課題」として捉える必要性を語った。相談会に訪れる女性は、「朝まで眠れる」「お腹がすいたらご飯が食べられる」ということすら、ほとんど満たされていないという。 そういった流れから、中野さんは現在のことを「新しい戦前」とは捉えておらず、「銃を札束に変えただけだ」と力を込め、ホモソーシャルの秩序と壁の連続性の中にあるとも語った。 そして、戦争を準備する根底にあるものは、家父長制であり、家父長制こそが差別と暴力の基盤であることを押さえておきたいと話した。政府が憲法24条を変えようとする時には全ての女性の人権が侵され、軍事化が進められる時には、家父長制と女性への暴力が強化されるのだ、と説明。軍縮のためには、経済格差、搾取と貧困をなくし、人権を染み渡らせるしかない。ジェンダー主流化(政策全般にかかわる全ての領域、政策分野にジェンダーの視点を入れ

「教育」の現在地を捉え、次世代につなぐ(東京大学大学院教授 本田由紀)

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これまで5回の連載により「日本の教育の現在地」について概観してきた。各回で述べてきたように、日本の学校教育は少なくとも先進諸国の中では最悪といってよい、一学級に多数の児童生徒を詰め込む粗い形で実施されており、その背後には教員定数を少ないままに維持し公教育への支出を抑制しようとする政府、特に財務省の思惑がある。その直接の犠牲となってきたのは、多人数の学級集団の中に埋没させられ、個々人の特性や感じ方にきめ細かく目を配られない児童生徒であることは無論である。また、ますます増大する教育課題やカリキュラムを多数の児童生徒を相手にこなさなければならない教員の過重労働・長時間労働が限度を超え、教員の人材確保さえ危ぶまれる状態になっていることは繰り返し指摘されているにも関わらず、対策は実効性のない姑息なものばかりで、改善は遅々として進んでいない。 さらに、こうした学校教育の基礎的な条件さえ整備しないまま、為政者にとって都合の良い国民となることを求める形で教育基本法は変更されてしまい、その中に含まれる条文や保守層の主張は、「家庭」即ち児童生徒の保護者たちをも政治的な統治の対象として位置づける性質のものであった。 ●広がり続ける教育格差 このような教育の現在地の中で、何とか対応しようともがく保護者の姿が明らかになってきている。 その姿を把握する上で重要な事項が塾や習い事等、いわゆる学校外教育の利用である。「広がる教育格差『最後の手段』に手をつける家庭が増えている…高収入なら塾代など大幅増の一方で」(2023年5月23日付東京新聞)によれば、総務省の2022年家計調査結果では世帯収入1250万円以上の世帯では2019年と比較して「補習教育」への支出が大幅に伸びているのに対し、世帯収入500万円未満の世帯では以前から少なかった「補習教育」支出がさらに減少している。 粗い学校教育だけでは、自分の子どもが受験等の競争に勝ち抜く知識や様々な「能力」を身につけることができないと感じている保護者たちは、学校教育以外の教育手段に支出することで「我が子だけは」有利な将来を確保しようとしているが、当然ながらどれほどの額が支出できるかは各家庭の経済状況によって差がある。一方では、教育虐待といえるほど子どもを学校外教育にふりまわす富裕な保護者も存在する。他方、コロナ禍による就労や収入への打撃、また2